2017年11月28日火曜日

日本人よ、もっと政治に熱くなれ!!



もうすぐ12月なのに、暖かいですね〜。暖房つけっぱなし状態への突入は、しばらくおあずけです。ちなみに、だいぶ以前にも書きましたが、エアコンはつけっぱなしの方が電気を使わず、エコですよ。ウチは、こまめに消していた頃と比べ、電気代は半額くらいです。


宿は相変わらずまぁまぁの入りで、そんなに忙しくはないので、僕は本ばかり読んでいます。今、読んでいる三冊の内の一冊は、「未来の年表」(著:河合雅司)というものです。簡単に言えば、“日本がこれから迎えるであろう未来が、どれだけ悲惨であるか”を、綿密なデータ分析を元に解説した本でして。いやぁ、ヒリヒリします。あまりに救いが無いので、滅入って来ます。



日本の未来といえば、先日の衆議院総選挙の前に、僕は政治についてをこのブログで語りました。しかし、選挙が終わって一ヵ月以上経つというのに、放りっぱなしにしているなぁと思いまして。なので今回は、その話題にします。



一ヵ月前のその記事でも書いたように、僕のイデオロギーは完全に【左】の【リベラル】です。日本の政党は、これまではなかなかその【右】or【左】や【保守】or【リベラル】の線引きが曖昧でしたが、今回の選挙では比較的、分かりやすくなっていたのでよかったです。


僕は【左】の【リベラル】ですし、憲法9条の改正や、安保改正法案には反対しておりますので、もちろん自民党を支持していませんし、希望の党にも入れていません。

しかし、仮に“自民vs希望”の構図になっていたとしたら、しいては“安倍vs小池”の日本のリーダーを選択する選挙になっていたとしたら、希望に入れていたかもしれません。小池さんのことは、全く支持していませんが。国民を舐めまくりでやりたい放題&利権にズブズブの安倍よりは、はるかにマシだという理由のみで。

しかし、希望の党の勢いがあっさりとしぼみ、それに釣られるような形で、日本全体で熱が一気に冷めましたよね・・・。いつもたいして盛り上がりませんが、ここまで凄まじく盛り上がらなかった選挙は、これまでにあったかなぁ。あ〜ぁ・・・。




僕が、最近の選挙で最も熱が入ったのは、昨年の参議院選挙でして。無所属で出馬した、レゲエミュージシャンの三宅洋平という候補の演説を、公示後すぐにyou tubeで見つけて、なんというか、「ようやく現れた!」感があったんですよね。日本の将来を本気で憂い、「このままじゃ、ヤバいぞ!」「みんな、立ち上がれ!!」と全力で訴える若者が。

若者といっても、僕と同い年なんですけどね。もちろん僕も僕なりに現実を理解しており、彼が今すぐに日本を大きく変えるほどの力を持つわけではないのはわかっておりますが。しかし彼には、「“一石”を投じ続けていけば、いつかは変わるかもしれない」と思わせるだけの説得力、人間的な魅力がありました。


当時僕は、ちょうど夏休み中でしたし、三宅洋平には直接会ってみたいと思いましたので、二度、彼の演説を聴きに街に出ました。その演説は、思っていた以上に素晴らしいものでしたが、僕がそれよりも驚いたのが、会場の凄まじい熱気。僕は他の候補者の演説っぷりもそれなりに見ていましたが、聴衆は、いてもせいぜい20人ほど。一方で、三宅洋平の会場には優に1000人は超えており、しかもそのほとんどが“聴いている”のではなく“応援している”。歓声やらシュプレヒコールやらが入り交じり、なんというか、決起集会のような感じでして。

特に僕が参加した二度目の、最終日の品川駅前の演説では、僕の隣に立っていたのが、おそらく70〜80歳のお婆さんだったのです。はっきり言いまして、僕はちょっぴり、感動したんですよね。あぁ、日本の民衆の力は、捨てたもんじゃないなと。世の中を変えるために戦おうという人は、ちゃんと存在しているんだなと。


・・・で、その選挙の結果はというと、彼の得票は26万票ほどで、9位での落選でした。当選圏内最下位の6位の候補が51万票を獲得していますので、じつにダブルスコアでの敗戦だったわけです。

僕は、三宅洋平が落選したこと、そのものよりも、ここまで熱のある支持を受けた者でも、マス(一般大衆)を相手にするとこんなにも歯が立たないのかという、そちらの方に落胆しました。仮に選挙制度が【得票数×支持者の熱】で決まるとすれば(そんなことはありえないですが)、彼は間違いなく当選していたと思います。


なので僕は、昨年のその参議院選挙で、「政治に対して冷めている大多数の人々に、熱を注入しなければ、日本の根本的な諸問題はこのまま全く解決しない」と痛感したわけです。もちろん、そんなことはとっくにわかっていましたが、改めて。そして「熱のある者々が、内輪で隆起したところで、マスには全く届かない」と、改めて強く理解しました。だからこそ、僕は何度も「日本人はもっと政治を語るべき!」と訴えています。



先の総選挙に話を戻しますと、今回はまさにその「熱がないと日本は何も変わらない」の、象徴のような結果でした。希望の党が勢いを無くし、全くもって盛り上がらず。候補者たちの演説からは、外面のいい、都合のいい、薄っぺらい話しか聞こえて来ない。わざわざ立ち止まって聴いたことが、時間のムダだったと思わせるほどの、中身の無い演説ばかりで。「この人に投票したい!」と強く思わせてくれる候補が、一人もいない。僕は完全にアンチ安倍ですが、加計とか森友とか、そういう諸問題には比較的興味が無く。安倍はそもそも、その程度のチートな人間だという認識だからでしょうが。




ここであえて、話題を北朝鮮の問題に絞ります。今回の選挙で自民党に投票した人、安倍を支持した人の多くは、戦争が起きた場合に備え、「強いリーダーが必要だ」とか「自民党以外は頼りない」とか、そういう気持ちがあるのだと思います。しかし僕は、安倍だからこそ、日本は戦争に巻き込まれる可能性が高い、という考えです。評価の基準点が、完全に逆なのです。


僕はとにかく、【日本は、世界中のあらゆる戦争や紛争とは距離を置くべき】という、極めて左寄りな思想なので、安倍がいちいち北朝鮮問題に首を突っ込みたがることを、強く批判しています。そう言うと、「北はミサイル実験で日本の方に撃ちまくっているじゃん」と反論する人がいるでしょうが。北朝鮮は、アメリカとの関係上、戦略的にミサイルを撃ち続けている。しかし、北側にはロシア、西側には中国があるわけで、そんなヤバい&お仲間サイドな方向に撃つわけがないじゃないですか。撃つとしたら南か東に決まっているわけで、その真意は日本を狙っているわけではなく、ある意味では必然の選択なのです。僕はミサイルを撃つこと自体を、肯定しているわけでは全くないですよ。撃つと決めているのなら、そりゃあ矛先は南or東になるわいな、ということです。


なので僕は、日本人はそのあたりをもっと冷静になるべきだと思います。北朝鮮のミサイル実験自体には厳格に抗議し、一方で、アメリカの武力行使も支持しない。一貫して、あらゆる国に対して、「兵器を使うな!」「戦争するな!」を訴え続ける立場でいるべきです。しかし残念ながら、我が国の愚かなリーダーには、その要素が全くない。



しょうもない例え話(前も似たようなのを書きましたが)をしますが、とある学校のとあるクラスで、凄まじくケンカが強く、彼なりの正義感らしいが実はただのいじめっ子の、Aがいる。そして、そのAから目の敵にされ、いじめのターゲットになるのを恐れ、ナイフを持参するようになり(たまに振り回し)、必死に強がるBがいる。Aには、yesとしか言わない金魚の糞みたいな子分のCがおり、クラス全体としてはそのギスギスした関係に「おいおい、お前ら、ケンカすんなよ」という雰囲気がある。しかし子分のCに限っては、ボスのAに「あんな変な奴、一撃っすよ」「やっちゃいましょうぜ」「アイツが振り回すナイフが、俺に当たったらヤダし」と何やら言っている。


いじめられないためにナイフを持っているのに、そのナイフを理由に、ケンカを煽る者がいるわけで。この場合、Bがもしナイフで戦うことを決意したら、真っ先に刺されるのはCじゃないですか?「お前ら、ケンカすんなよ」のスタンスの者々を、わざわざターゲットにしますか? BにとってのCは、まさにうっとおしいだけの、邪魔者でしかないでしょう。


僕は今の日本を、このCのような存在だと認識しているわけです。なので、安倍のそのスタンスこそが、日本が戦争に巻き込まれる可能性を高くしている元凶だ、と考えるわけです。子分歴は70年を超えていますから、今さらボスと決別しろとも、対等な関係を築けとも、言うつもりはありません。普段、ボスにペコペコしまくっているのはまぁいいとしても、せめてボスが暴れそうな時くらいは、「暴力だけはやめてくださいっす!」と言えるようになってくれ、ということです。




先日、わが宿には珍しく、ルーマニアから来たゲストがおりまして、長期泊だったこともあり僕は非常に仲良くなりました。彼曰く、「俺の両親やその世代の人々は皆、“あの頃はよかった”と言う」とのことでして。あの頃とは、チャウシェスク大統領の独裁の時代のことです。

僕には子供の頃にどこかのニュースで観た、革命後にチャウシェスクが処刑された映像の記憶が強烈に残っておりまして、単純な連想で「この人は極悪人だったんだな」と思っていたのですが。しかしそれは、現地の人々の認識や評価とは、全く違っていたわけで。ウチに泊まったその彼自身は、独裁の時代には生きておらず、に懐古の意識もなくフラットな感じでしたが。


また、僕はロシアへの訪問の経験があり、現地人とも関わったことがありますが、彼らの中にも、「ソ連時代はよかった」という者がけっこうおりまして。日本人は、昔のソ連やルーマニアなどの、いわゆる西側諸国ではない国々、イデオロギーを共有できていない“考え方の違う”国に対して、「国民がかわいそう」とか「みんな不幸だろう」とか「許せない」とか、勝手に決めつけがちです。それは単に、無知や先入観から来るもので、実際には彼らは、幸せだったわけです。もちろん、すべての人がそうなわけではありませんが、それは僕ら、アメリカサイドの国だって同じことでしょう。僕は、共産主義を賛美しようというわけでは全くありませんよ(僕は資本主義支持です)。


なので僕は、北朝鮮だって、国民が総じて不幸だ、と決めつけるべきではないと考えます。金正恩は悪魔的な独裁者だ、政府は国民から搾取している、とイメージを一方的に確定させるべきではない。それは、“だから、崩壊さすべし”に繋がる、危険な先入観です。米朝関係の歪みは、そもそもの“北朝鮮は悪い国だ”“国民がかわいそうだ”という、決めつけが問題なのです。


“北朝鮮には対話戦略は通用しない”“対話は意味が無いので圧力で”というのも、おかしな話です。なぜ、短期間で結果を出そうとするのでしょうか。なぜ、あっさり諦めるのでしょうか。対話が不調に終わるのは、前提として“お前は悪い奴だ”という意識がこちらにあるのが、相手に見られているからです。対話とは、双方のリスペクトの元ですべきであり、意見が合わないのなら、お互いが納得できるまでとことん時間をかけるべきものです。拉致問題等もあり、日朝が複雑な関係なのは間違いありませんが、それでも相互リスペクトありきです。

元プロレスラーで参議院議員のアントニオ猪木氏は、事あるごとに北朝鮮へ出向き、政府の意向を無視して、とにかく対話への糸口を模索しています。なぜに氏の訪朝が、こんなにも何度も成功し、歓迎されるのかというと、その根底には氏の北朝鮮への確固たるリスペクトがあるからです。

猪木氏は、決して北朝鮮にゴマをすりに行っているのではなく、ちゃんと意見を伝え、なんなら苦言まで呈しています。双方にリスペクトがあるので、そんな対話が成立するのです。しかしいかんせん、彼は個人でそれをしているだけで、政府や大多数の日本国民からは厄介者扱いで。残念ながら彼の行動は、日朝の関係を動かすまでには全く至っておりません。

何にしても、猪木氏は「戦争を回避するために、自分のできそうなことは何でもやる」、とても行動力のある方なわけです。少なくともこの一点においては、素晴らしいと僕は思います。



今の日本は、どうにか世の中をよくしようと、熱意を持って行動に出る少数の者が、熱のない大多数の者々から批判され、バカにされる社会です。また、7月の都議会議員選挙のように、どこかの政党がブームを起こせば大勝利することがありますが、逆に今回の総選挙のように、失敗すると大惨敗します。

ブームに振り回され、“盛り上がればその気になる”というレベルでは、真の熱意とは言えません。本当の熱意、「日本を変えよう!」という強い力は、僕らが常日頃から持ち続け、語り合わなければ育ちません。



多くの国民が、政治に諦め、冷めているうちに、日本の社会や経済はこれからとんでもないことになりますし、平和や安全も脅かされます。日本はすでにその段階、危機的状況に突入し始めていると僕は思いますし、多くの学者や専門家もそう訴えています。


まぁ、国民の70%が北朝鮮への圧力外交を支持し、さらにその内の30%が「武力行使すべし」という考えだそうで、つまりは国民の20%強が戦争を歓迎しているわけですから、僕が何を訴えたところで、この国はもはや手遅れなのかもしれませんが・・・。




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